奈良・生駒の行政書士「すみれ行政書士法務事務所」の野村早香です。
ブログをご覧いただきありがとうございます。

「父の終活 その1 事業承継」、「父の終活 その2 遺言を書くべきか」、「父の終活 その3 医療告知について」に引き続き、
今回は「最期の過ごし方 在宅か病院かホスピスか」について。

ちょうど、昨年の今ごろ、
待ちに待ち続け、放射線と抗がん剤治療のために入院したころでした。

全身にガンがひろがったことがわかり、

癌治療のできる大きな病院へ紹介いただきました。

ベッドがなかなか空かず、
入院するまでに3週間まち、

決まってからも、検査の日々・・・

なかなか治療が開始できず、
本人含め家族もやきもきする毎日でした。

いざ治療を始めるときには、
また一段と腫瘍が大きくなり、
医師からも治療が間に合わないかもしれないと言われました。

できるかぎりは頑張るという父の意思を優先し、

抗がん剤治療を開始したものの、
すでに父の体は耐えきれなくなっており、

1クールの抗がん剤治療後、
医師からこれ以上は治療できないという話がありました。
父のいない席で…。

そして、やんわりと遠回りに、
転院してほしいという話がありました。

ホスピス専門の病院か、
地元の病院に戻るかの選択にせまられ、

家族で話し合った結果は、
「家に連れて帰りたい」でした。

母は仕事しながらでしたし、
私や弟も仕事がありますが、
全員自営業であることから、
働き方に自由度があり、
在宅ワークをおりまぜられることと、

何よりも姉が2歳の子をつれて、
毎日朝から夕方まで、
家に来てくれることになり、
自宅での看取りの結論になりました。

父にはどのように伝えるべきか、
悩ましいところですが、
父は、「治療することがないんやったら帰ろかな」というぐらいでした。

すぐさま情報収集して、
往診にきてもらう先生と訪問看護の事業所さまとお話をして、

万全の体制で退院してきた父。

今まで、姉の子(父の孫)が小さいため、

病棟には連れていけなかったため、

自宅へ帰ると孫に会えて嬉しそうな父でした。

どれだけ自分がしんどくても、
私が朝に仕事に出かようとすると、
「気をつけて行ってこいよ」と必ず言います。

弟が仕事の相談すると、
老眼鏡をかけて目に力が入る、根っからの仕事人。
弟の会社も気になって仕方ないようでした。

できる限り自分の足で歩き、お風呂やトイレにも行きましたし、

最期まで父らしく過ごした2カ月間でした。

おそらく病院で過ごしていれば、
ここまでもたなかったと思います。

日々弱っていく父を見るのは、
精神的にはつらいものがありますが、

自宅で看取れることは残された家族にとっては幸せなことでした。

ケアマネさんに聞くと、
「自宅で最期を迎えたい」という人は多いけれど、

途中で病院へ入院になることも多く、
実現できないことのほうが多いそうです。

我が家の場合は、
父自身が最後まで頑張ったことと、
家族みんなで役割を分担できたことで、
父を一人にすることなく過ごせたことで実現したと思います。